中国茶の歴史
今、人気の中国茶です。
中国茶の種類と言えば、烏龍茶(ウーロンチャ)や茉莉花茶(ジャスミンチャ)が良く知られていますが
そもそもの 中国茶っていつ頃生まれたのかをご存知でしょうか?
実は、【中国茶の歴史】を知ることが、すべてのお茶の歴史を知ることになるのです。
中国茶は、それほどにまで興味深いものです。
それでは 紀元前にさかのぼる中国茶の歴史をご紹介していきましょう。
1 中国茶の発祥を知っていますか?

1-1 最初のお茶って、どこでどんな風に生まれたの?
「○○の歴史は中国にあり」の通り、お茶の起源は中国にあります。
前漢時代(BC202~)ごろ 四川省ではお茶が生産され 商品となっていたようです。
それ以前はお茶の伝説によると
農業の神である神農がお湯を飲もうと 水を火で焚いているところに
偶然に葉が入り込みました。 そのお湯を飲んでみると、素晴らしい香りと味がしたということで
それがお茶の始まりとなりました。
これはあくまで伝説で、実際には山岳地帯に住む、少数民族に
利用されていました。
その民族が お湯に葉っぱの【初めての茶経験】をしたのですね。
その後 唐時代(618~907)には お茶は中国で広く飲まれるようになりました。
1-2 お茶はどのように利用されていたのでしょう?
最初、お茶はその香りや味わい、飲んだ後の爽快感などから
今のお茶のような嗜好品ではなく、薬に近い飲まれ方をしていたようです。
前漢になって お茶は貴重な飲み物として扱われるようになりました。
喫茶の風習も生まれましたが それは、上流階級の人々や軍人たちのものでした。
【三国志】にも お茶が登場し、その喫茶の風習を表しています。
1-3 お茶の樹の原産地はどこ?
お茶の樹の産地は北部、中部、南部の3つに分けられます。
北部は緑茶、中部は青茶、南部は紅茶や黒茶が代表的です。
特に南部の雲南省には 樹齢2000年以上と言われるお茶の古樹が今でも
多く存在するので 茶の樹の原産地ではないかと言われています。
その雲南省の茶樹に漢民族が出会ったところから お茶の歴史が広がりました。
2 世界に広がる中国茶

2-1 中国文化圏でのお茶の伝播
唐時代(7~10世紀)には お茶は南から中国全土に広がっていきます。
唐では 喫茶の習慣が一般の庶民まで普及します。嗜好品としてのお茶の文化です。
家庭でもお茶が飲まれ、町に茶店のようなものが増えていきます。
宋の時代(10~13世紀)には お茶は庶民の必需品になり、
日常欠かせない飲み物となりました。
お茶は高級品であるため 良質のお茶を飲んでいたのは特権、上流階級の人たちで
一般の庶民は 固めたお茶にネギやショウガ、甘草などを混ぜて飲んでいました。
社会に根付いたお茶に
国は 塩や酒と共に、課税をかけ大きな税収入としました。
そして 絹織物や陶磁器と並んで貿易品として輸出されるようになりました。
この貿易によって
全世界にお茶が広まっていったのです。
2-2 ヨーロッパ人のアジア進出
バスコ ダ ガマによってインドにポルトガル人が到達しました。
1516年ヨーロッパ人として初めて広東に来航します。
翌年 中国の通商が求められますが、
まだまだ、ここではお茶は紹介されていません。
その後16世紀から17世紀初めにかけて
宣教師や航海者が東洋の茶をヨーロッパに紹介します。
3 ヨーロッパでの中国茶文化

3-1 ヨーロッパでお茶はどのように伝わっていったか
1557年発刊の「航海と旅行」では お茶は次のように記されています。
「中国では大黄とは別の植物、チャイchai
カタイcataiと呼ばれる葉が煎じて飲まれている。」
宣教師が伝える中国茶の情報は
茶は苦味があり、多少赤みを帯びている
飲み方は、中国では茶器に茶葉を入れ その上から熱湯を入れ 葉を残して飲む
日本では茶葉を挽いて粉にしたものに湯を加えて飲む
お客に召使が奇麗なお盆にチャを入れた磁器を載せて来て、全員に配る
チャの中に砂糖漬けの果物が入っていることがあり、銀のスプーン状のもので食べる
チャは薬効があり、彼らは常飲している
以上のような内容です。
後年の中国茶とは少し異なっていますが お茶の淹れ方や作法も
少しずつ 出来ていったようです。
3-2 ヨーロッパでの中国茶の人気
文献では東洋のお茶を初めてヨーロッパにもたらしたのは 1610年オランダの商船です。
そして
安土桃山時代の豪奢な時代の茶の湯は 茶道の礼儀作法をヨーロッパに知らしめました。
中国茶の独特の淹れ方や、日本の茶道の礼儀作法などが
後の、イギリスの紅茶文化にも、影響を与えているのですね。
さて
オランダに、もたらされたお茶は高価なもので
楽しむことができたのは、貴族の中でもごく一部の裕福な人達だけでした。
そして お茶を淹れる道具としての中国に陶磁器製のポットやカップ類
茶道の茶器などは
また、さらに高価なものでした。
その後 お茶は【喫茶】という形で、おしゃれな流行となり
女性たちの間で大人気となりました。
女性のお茶会好きは 何世紀も前からだったのですね。
当時、飲まれていた茶は日本や中国の緑茶でした。
17世紀半ばには
茶は薬局で販売されていました。
ヨーロッパでも、お茶は
もともと、薬効を期待されていたものでした。
3-3 イギリスのお茶文化は中国茶から
さて
多くの方は 中国茶よりも紅茶の方が 馴染み深いと思います。
けれども
今までご紹介してきた通り
お茶の発祥は中国の中国茶で それがヨーロッパに伝わり
紅茶文化の発達したイギリスに伝わるには 長い時間がかかったのです。
やっとイギリスにお茶が伝わったのは
1662年、英国王チャールズ2世に輿入れをしてきた
ポルトガルの王女 【キャサリン・オブ・ブラガンザ】が お茶や砂糖を持参品として持って来た時でした。
砂糖は まだヨーロッパにはなく
高級な茶に、貴重な砂糖を入れて飲む習慣は 貴婦人たちの間で
あっという間に大人気となりました。
茶葉は鍵付きの箱に入れられ、女主人が持っていました。
アン女王の時代になると
お茶やお茶会にはたくさんのルールが 作られるようになりました。
アン女王は 中国や日本趣味で 茶器や陶磁器も収集しました。
女王は、イギリスのお茶文化を高める為に
中国茶や茶道にならって
独特の紅茶のマナーやルールを作り出したのではないでしょうか。
その後、世界に進出したイギリスは
インドやセイロンなどの植民地で茶の栽培を広げ
中国種以外のアッサム種という茶の樹から 【紅茶】を生産するようになりました。
20年ほど前 日本では空前の紅茶ブームが
湧きおこりましたが
その紅茶のいろいろなルール、お茶そのものが
実は東洋が発祥だとは
お茶の歴史を知らない人は
ほとんど、気が付きませんでした。
4 中国茶の変遷いろいろ

写真:Wikipediaより
4-1 時代と茶の種類
中国茶は世界に広がり、習慣や文化となりました。
では中国内では お茶はどのような変遷をたどっていったのでしょうか?
時代を追って、ご紹介いたします。
唐時代
家庭での茶の風習が広がる
・餅茶(ビンチャ)団茶・・・茶葉を押し固めた固形のお茶 →現代の固形茶
・雑茶・・・野菜を加えて煮だした茶
宋時代
専売制度が作られ税金が課せられるようになる。
製法も改良され抹茶風の研膏(ケンコウ)茶・研末(ケンマツ)茶へ進展しました。
これらのお茶は高級であったため 特権階級の人々に飲まれていました。
一般の人々は 雑茶を飲んでいました。
・散茶(サンチャ)・・・葉茶を加熱し製茶して末茶にしたもの
・餅茶
宋代では器に粉状のお茶を入れ 茶筅(ちゃせん)で点てる形になります。
これが日本の茶道の原点になりました。
お茶が普及すると庶民の間でも お茶の質を競ったり、点て方や色、香り、味を競う
【闘茶(トウチャ)】が流行しました。
元時代
お茶は 宋の時代と大きくは変わりませんが蒸し茶の茶葉が出現します。
・蒸し茶・・・茶葉を摘んで弱く蒸し、一枚一枚、葉をはがして揉み乾燥させたもの
日本の緑茶の製法の原点ではないかと言われています。
・散茶・・・・粉状のお茶は、引き続き主流でした。
明時代
茶の形態が固形茶から葉茶へと変化していきます。
固形茶を作るのに多くの労力と技術が必要だったので禁止されたのです。
茶葉は釜炒りかが主流になって【蒸す】のは一部になりました。
茶の製法が大きく変わり現在の中国茶の原点が現れてくる時代です。 ・緑茶(リュイチャ)・・・炒青(サーチン)による青殺法の完成
・花茶(ホアンチャ)・・・庶民の雑茶にも変化がありジャスミンの香りをつけたもの
が生まれました。
清時代
お茶は生活に欠かせないものになります。
味よりも香りが重要視されていたので花茶は人気の中国茶のなりました。
茶葉の発酵の研究や技術が進み、烏龍茶や紅茶のもととなるようなお茶
が作られるようになりました。
・武夷茶・・・烏龍茶の起源となるお茶、味も香りも従来よりとても向上しています。
このように何世紀にもわたる歴史の中で 中国茶は時代や人々の好みや 技術の進歩、政治的背景をすべて映し出すように変化してきました。
そして現在の7種類の中国茶に分類されるようになったのは近代のことです。
近代
7種類の中国茶・・・青茶・緑茶・白茶・黄茶・花茶・紅茶・黒茶
4-2 茶経とは なんでしょう?
【茶経(チャキョウ)】 とは 茶のすべてが書かれてある総括書です。
唐の時代 760年ごろ、【陸羽(りくう)】という人物によるものです。
陸羽は 茶神、茶聖、茶仙などと称されている人物です。
内容は 製茶、道具、器、淹れ方、飲み方の作法などから
歴代の茶、茶の栽培法、茶のたて方、歴史、植物学
食文化など、多岐にわたり いまだ、それ以上の【茶の総括書】は出現していません。
では、陸羽とはどんな人物だったのでしょうか?
もともと禅寺に拾われ、修行していましたが 仏典がきらいで
得意なのは 時折寺で開かれる茶会の際、お茶を淹れたり、点てたりすることでした。
11歳のころ、寺を脱出し 演劇の一座にはいります。
そこで監督までこなす才能を認められ、本格的に学問を学ぶように勧められます。
陸羽は火門山というところで5年間、儒教、道教、古典文学を学びます。
20歳のころ街に戻り、このころ人生のテーマに【茶】を選んだと言われています。
茶を知るために旅を重ね 【茶経】は 数回書き直されたということです。

写真:Wikipediaより
彼は、どこにも属することなく、何事にもとらわれることなく
茶の道を精進しました。
まさに【茶神】【茶聖】【茶仙】に名にふさわしい人物ですね。
まとめ
いかがでしたか?
今、私たちの身近になった中国茶は 7種類もあり 茶の種類も豊富にあります。
そのどれもが、豊かな個性を持っていて、とても美味しいですね。
中国茶は
雲南で、たまたま沸かしていたお湯に
お茶の樹の葉っぱが、入った偶然から始まりました。
今では想像するしかありませんが、その人類初のお茶の味わいの感動が
何世紀もかけて 中国茶の種類や銘柄の追及に つながったのですね。
その中国茶が
私たちの国で日本茶や茶道として栄えていきました。
いっぱいの中国茶に感動と歴史が、ぎゅっと、詰まっています。
ゆっくり味わいながら
中国茶の時間を、お過ごしくださいね。
参考文献
お茶の事典(成美堂出版) 中国茶の愉しみ(日本放送出版協会)